埼玉の水子供養なら妙光寺。水子供養、年間御供養、永代御供養など、ご希望される御供養をさせて頂いております。

埼玉県の水子供養は妙光寺へ
水子供養は関東で名の知れた妙興寺へ

 寺歴又は由緒


「熊井山 妙光寺は文永元年(西暦1264年)今より742年前に現在の埼玉県比企郡鳩山町大字熊井の地に高僧「竺翁」により建立開山いたしました。

(鳩山町指定文化財:青石卒塔婆、弘安9年(1286)作がございます。)

 御本尊は「大日火炎不動明王」様ですが、近年では秘仏である「地蔵菩薩」の存在が周知される事となり、埼玉県鳩山町周辺はもとより東京都・群馬県など広く関東一円から御参拝の信者様が来寺され、強い信仰の対象として崇め祭られております。

また、当山は元々「源 義経」(1159〜1189)配下の武将「熊井太郎忠基」の居城であったとされる為、「熊井城」と記載された文献もあり、裏山はその面影を今に留めております。

 「熊井忠基」は一ノ谷の合戦(1184)で名を馳せ「義経」が自刃した奥州「衣川の合戦」(1189)にも参戦いたしました。生死の記録はなく、その名は歴史上から忽然と消えてしまいまいたが、江戸期には歌舞伎の題材にも成り明治期まで盛んに上演されておりました。

水子供養の妙光寺の歴史背景


 秘仏 地蔵菩薩


当山には地蔵菩薩様(埼玉県鳩山町指定文化財)が「秘仏」として安置されており、古来根強い信仰の対象となっております。

「秘仏」の由縁は菩薩像が木製観音開きの厨子に安置されているところから、永くそのお姿を拝見出来なかったところに御座います。

作者等不詳ではございますが、お顔は「入定相」と言われ、深く瞑想されている表情を表しており、左手に宝珠、右手に錫杖を持ち、胸には金属製の瑶珞が飾られております。

また、蓮華台座に遊戯坐をとり、舟形光背を持った大変立派な地蔵菩薩様で御座います。

菩薩像の確かな作りから「熊井忠基」縁の菩薩では無かろうかと伝えられております。
埼玉で由緒ある水子供養の妙光寺の仏像

 地蔵菩薩の功徳


地蔵菩薩は「一切衆生済度の請願を果たさずば、我、菩薩界に戻らじ」との決意で、自らの意志で人の身のまま地獄に落ち、六道界で彷徨い続ける魂を救うため、自らの足で行脚し、救われない衆生、幼くして散った子供や水子の魂を救う旅を続けます。

右手の錫杖は旅支度の意味を現しております。

地蔵菩薩の霊験は膨大にあり、人々の罪業を滅し成仏させるとか、苦悩する人々の身代わりとなって救済すると説かれております。

特に生前の功徳が足りない事から賽の河原から先へ進めず、石の塔婆作りを永遠に続けなければならない水子の魂を救うため、賽の河原に率先して足を運び、仏法や経文を聞かせて水子らに徳を与え、成仏への道を開いていく水子救済の逸話は有名です。

地蔵菩薩は最も弱い立場の人々を最優先で救済する菩薩である事から、古来より絶大な信仰の対象となっております。

後年になると、地蔵菩薩の足下には餓鬼界への入口が開いているとする説が広く説かれるようになりました。

餓鬼は燃える舌を持っており、口に入れた飲食物は炎を上げて燃え尽き、飲み食いすることが出来ないと言われております。

しかし、地蔵菩薩の慈悲を通した水は喉に届き、苦しみから救われると説かれています。

その間に供養を捧げたり、得の高い経文を聞かせ成仏を願うのが施餓鬼の法要の一端でもあります。

これは六道界全てに隔てなく慈悲を注ぐと言われる地蔵菩薩の功徳を表す説であり、施餓鬼法要と地蔵菩薩は深い関係として成立しています。

埼玉で由緒ある水子供養の妙光寺の供養塔

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